四旬節第四主日メッセージ
範囲:ヨハネによる福音書7章から12章
(説教の抜粋)
ヨハネの福音書11章25節
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
イエス様がなされた奇蹟は、ユダヤ人たちの中で論争となり、激しい衝突を生みました。ラザロの復活の奇蹟(11章)は「最後のしるし」です。「わたしはよみがえりであり、いのちである。」とおっしゃるイエス様は、本当に「いのち」を与えることができる方です。まさにイエス様ご自身こそ、死に勝利してよみがえり、私たち信じる者たちの「復活の初穂」となられたキリストです。イエス様を信じる者から「永遠の命」への希望を奪うことはできません。すでにイエス様が勝利されたからです。このラザロの奇蹟を通して「神の栄光」を見た人々は、イエス様を信じることになりました。しかしこの出来事によって、ユダヤ当局サンヘドリンは計画(イエス様の殺害)を実行に移すことになるのです。
「復活」は神様からの啓示です。啓示を科学で解明しようとしても、自分のものにはなりません。ただ信仰によってのみ受け取れるのです。神の啓示を信じる者にとって、復活は永遠の約束であり、消えない希望の光となりました。復活の灯を心にともし、いのちの喜びをうたいましょう。
ヨハネの福音書12章23-25節
すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
12章で、イエス様は有名な「一粒の麦」の話をされました。キリストの十字架の死の意味を知ることになる深い御言葉です。イエス様の死はただの死ではありません。多くの人々のいのちとなるための犠牲の死であり、よみがえりのための死でした。死という苦難を目前にされて、イエス様は「この時こそまさに栄光の時である」と断言されます。世が憧れる栄光とはほど遠い栄光を、イエス様は栄光としてくださったのです。これこそ私たちのための愛でした。主イエスは私たちのためにこの苦難の道を通過され、復活へと至られたのです。信じる者には、主の死が真に輝かしい愛の栄光として近づいてきます。だからこそクリスチャンたちはこの方を称えて、私たちのために死にまで従順し、低くなられた方を高く高くかかげるのです。
イエス様の十字架の死は、知識的に見れば愚かに見えるやもしれません。しかし神様の愛は、世のすべての知識にまさる高尚な救いの真理を物語っています。この四旬節の期間、イエスキリスト様の栄光を仰ぎ見つつ参りましょう。
by 松浦 ゆり-Yuri Matsuura【youtubu channel】 幸せを見失い 孤独に悩む時に 主は言う 私の恵み...
ハレルヤ!みなさま。急に秋らしくなりましたね。あんなにも暑かった夏を忘れてしまうくらいの涼しさで...
こんにちはみなさま。紫陽花が美しく咲く季節、いかがお過ごしでしょうか。 今日は愛知長老教会のイ...
先を急ぐイエス様でしたが、大勢の群衆に囲まれながらその足取りは遅々とした歩みだったかもしれません...