ヨハネの福音書21章14-15節
"イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目である。彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」"(抜粋:新改訳聖書第三版)
(説教抜粋)
「そんな人は知らない」とイエス様を三度も否認したペテロ(マタイの福音書26章)。主の愛した一番弟子ペテロは、イエス様を見捨てて逃げ去りました。命をかけた主への決意は、十字架の死を前にした時、容易く崩れ去りました。しかし痛恨の涙を流したあの時のペテロの痛みを、イエス様はよく覚えておられます。彼の弱さまでも。死の前には信仰が折れるしかない人間の限界を、主はご存じでした。
私たちの信仰と愛は、死に打ち勝てますか?死を前にしても不変の信仰と愛を貫けますか?だれもが "はい、主よ!"と言えない弱さと限界を持っています。これが私たち人間の弱さであり、そして悲劇です。しかしありがたいことに、主は罪と死に勝利されました。今、ペテロの前に現れたイエス様は、死に打ち勝ち、輝かしい復活の栄光をまとったイエス様なのです。復活の主を目撃した弟子たちは、非常に喜んだと聖書は記録しています。
死に恐怖して逃げ去ったペテロ。しかし主は再び彼を探して来られたのです。「あなたはわたしを愛しますか?」。この言葉は決して咎めではなく、愛のお召しでした。死を前に敗したペテロの信仰と、崩れた主への愛を、再び立て直そうとされるイエス様の「愛」なのです。そのイエス様の愛に、ペテロは答えます。「わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです。」と。そうなのです。私たちのすべての希望は、主にあります。わたしたちをつかんで離さない主の完全な愛こそが、私たちがより頼む希望の根拠なのです。主がわたしを知っておられる(愛しておられる)ことが「わたしたちの希望」なのです。
罪に勝利することも、死に勝利することも、すべて主イエスの中にあるのです。死をも乗り越えたイエス様の愛は、裏切ったペテロさえもつかんで離しません。このイエス様の愛に勝るものは何もないのです。そしてこのイエスの愛とあなたを切り離すものも何もないのです。このイエスの愛だけが、私たちの「永遠の命」の確証であり、希望です。
私たちを愛してくださった主イエスによって、私たちは圧倒的な勝利者となるのです。罪も死も、どんなものさえも、私たちの主イエス・キリストにある神の愛から、わたしたちを引き離すことはできません。この完全な愛の中にペテロが生きるとき、ペテロの信仰と愛は死を乗り越えていく力を得ました。私達も主を信頼し、主に従って参りましょう。今日もイエスの愛にとどまりましょう。
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